師走の風景
この時期になると、駅のホームでは酔っぱらったサラリーマンの小集団が大声で話しているのを見ることができる。そんな喧騒に占拠された駅のホームで、彼は申し訳なさそうに小さくなってベンチに腰をかけて、無心に何かを書き留めている。僕はというと反対側のホームにやってきた電車に乗り込み、窓に寄りかかって彼を見やっている。電車がゆっくり走り始め、彼が少しずつ遠ざかり、窓から姿が見えなくなる。
電車のなかで、僕は一人になり、膝にのせた重たいリュックから厚めの本を取り出す。マーシャル・マクルーハンの『メディア論:人間拡張の原理』。1964年に出版されたメディア論のされた名著である。ユートピア主義について書かれていて、数々の熱狂的なマクルーハン主義者を生み出したきっかけになった本である。
新宿駅につくと、忘年会帰りらしいサラリーマンたちがドカッと乗り込んで来る。僕は一瞥して、すかさず本に戻り、こことは違う別の世界に入り込む。文字が立体感を帯びて立ち現れてくる。視界が狭まる。音が消える。外界をシャットアウトする。すると、言葉のひとつひとつの息遣いが聞こえて、コイツの言いたいことの全体の輪郭が見えてくる。
僕らは少し「ズレ」ているのかもしれない。見ているものや考えたいことも、使う言葉も少し違う。時間の流れ方、感じ方でさえ。でも意味がないわけではない。そして一人でもないんだ。
僕らはきっと頑張ってるよ。きっと。
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9 コメント, 25 trackbacks
うん、そうだねぇ、その一人ひとりの感覚の「ズレ」があるからこそ、お互いぶつかったりもするし、お互い分かり合おうと努力するし、さらに言えば、世界は面白くなってダイナミックに動き続けるんだろうね。
あと、voteサンクスです。
>小説家っていう道もありだったりして!?
またまた(笑)
でもなんかふと目に見えた情景を書き留めておきたくなることってない?
>「ズレ」
そうそう!おっしゃるとおりで。。。
そういう意味ではみんなズレているんだよね。
ただ、それが表面に出てこないだけで。
最近アレントを読んで特にそう強く感じたよ。
ちなみにここに出てくる「彼」ってのは
ただよしなんだぜ?(笑)
Much appreciated...good time and effort in this!