「ネットカフェ難民」という言葉
先日「ネットカフェ難民ブログ」というブログを読みました。
このブログは実際にとある理由でネットカフェ難民の生活を始めなくてならなくなった方が、その生活を毎日綴ったものです。
このブログを読んでいて、ネットカフェ難民の人たちがいかに苦しい生活を送っているのかが伝わってきました。この方は都心のネットカフェを転々と移りながら、時々入る派遣の仕事をしながら暮らしていたようです。
とても大切なのは、このブログにコメントを残していった人たちの存在だと思います。自分の会社に働きに来ないかと声をかける人がいたり、実際にネットカフェ難民の人で、その苦しさに共感を覚えたり、あるいは応援をしたりなど。このような良心の結びつきが自然にわき上がって、それが集まっている空間だなぁと思いました。
一方、一見心無いコメントをする人たちも少なからずいます。例えば「甘えるな」とか「もっとがんばれ」など。個人的な意見としては、彼らは(少なくともブログ主さんは)一生懸命頑張っているように見えます。ただ、その頑張り方や、頑張る内容が違うだけなんだと思います。外からだとどうしてもそれが見えないのはしょうがないと思う。逆に言うと、「甘えるな」という人でさえ、どこかでは甘えているわけで、その「甘え」が許されるかどうかは、その人の周りの環境によって違います。だから、どっちが劣っている、とかの話ではなく、ただ「違う」だけなのではないかなぁ。
ただ、このブログ主さんはそんなコメントも、謙虚に受け止めているのが印象的でした。というよりも、そのような厳しいコメントも、自分の成長の糧として吸収しているように見えました。実際に、ブログ主さんはこのブログで、様々な人とのやりとりを通して、大きくなったように見えます。
最後にこの方のブログにもコメントをさせていただいたのですが、僕はいわゆる「ネットカフェ難民」という言葉があまり好きではありません。おそらく、ネットカフェ難民と呼ばれる人たちが、そのような生活に陥った(あるいは選んだ)理由は人それぞれだと思うし、置かれている状況も様々だと思います。いわゆる「ネットカフェ難民」の問題はもっともっと複雑な気がしてならないのです。景気だけじゃないし、教育だけじゃないし、家庭の問題だけでもない。いろんな問題が複雑に絡み合っている気がします。もっと言うと、急激に変化している今の社会のしわ寄せが、彼らに来ているような気がします。だから、どこか「もろさ(vulnerability)」を持った人たちがその犠牲者となってしまうのではないでしょうか。
でもひとたび「ネットカフェ難民」と呼ばれてしまうと、それで問題が解決したかのように見えてしまいます。例えば、若者の雇用を増やそう、とか義務教育のなかに労働教育(キャリアデザイン)を取り入れようとか。特にマスメディアの影響は強いと思います。「ここに問題があるんだ!」という指摘はとても重要だと思いますが、そこで「こういう風に彼は乗り越えた」とか「彼らはこんなにつらい生活をしているんだ」とかいう切り口は結果として、ネットカフェ難民を一枚岩にしてしまいます。乗り越え方も人それぞれだろうし、自分で積極的に選んでいる人もいるだろうし、実際にはツラさだけではなく、「発見」や楽しさや、喜びや充実感もあるのではないでしょうか。
さらに今年の八月に厚生労働省が行った、
「日雇い派遣労働者の実態に関する調査及び住居喪失不安定就労者の実態に関する調査の概要」のような実態調査も
実はどこまでが本当で、どこまでがそうではないのかがわかりません。
でも「政府機関が行った公式調査」という位置づけが、いかにも信憑性がありそうな雰囲気を生み出しているような気がします。別にこの調査自体が良くない、といっているわけではなくて、社会全体として「政府機関が行った公式調査」が行われたのだから、「私達はネットカフェ難民についてすでによく知っているし、よく知っているということは、すでに問題は解決できるところまできているのでは」という世論が形成されてしまうことが問題だと思うのです。
あるところで読んだ話では、現在の経済体制、いわば先進国の資本主義では必ず「犠牲者」を必要とするらしいです。つまり効率よく資本を蓄積するためには、余分なものはどんどん省いていかなければならないし、その過程は人間はどんどんふるいにかけられます。今の日本のやり方は、それをさも当然としています。最初から彼らには、全体の何%が犠牲になるということを計算済みなんだと思います。
これが「ネットカフェ難民」というレッテル付けをする危険性だと思います。結局「甘えてる」だとか「もっとがんばれ」という批判は、財界・政界・官僚側にしてみれば、自分達のやっていることに対する批判の風よけになるから好都合なんだと思います。むしろ、目を向けなきゃいけないのは、「そっち側」なわけで、「ネットカフェ難民」はあくまで、最もわかりやすく、センセーショナルな「異端」なんだと思います。むしろこの「犠牲者」のヴァリエーションはワーキング・プアやニート・フリーター(この言葉も同じ理由で好きではないですが)の問題と共通する部分が多いと思うし、もっと言えば障がい者や老人、在日外国人も同じ文脈のうえにいると思います。
僕らはもうちょっと怒っていい気がするのは、僕だけでしょうか。
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