06.2.2009

岐路

さて。このブログの更新もほぼとまっているわけですが
改めてちょっとまた書こうと思います。
おそらくこれを見ている人はほとんどいないだろうけど
不思議と「誰か」に向けて書いている気になります。

岐路。という題名をつけました。
文字通り、今自分が立たされているところです。
社会人になって働き始めてから一年と数ヶ月。
まあ一年が過ぎたわけです。ものすごいスピードで。
特にこの半年なり3ヶ月はすごく早かった。

いろいろあったのですが、端的に言うと転職を考えています。
考え始めてみたものの、いったい自分が何をやりたいのか改めて考えてみると
はて、何がやりたいのか。どうしたいのか。
それを整理したいと思って今ブログを書いています。
以下ほぼ羅列で収集のつかない独り言です。
あまりお気になさらずに。気に障ったたらごめんなさい。


まず自分の興味のあるものを整理してみます。
あとで、考えてみると自分の興味のあることとやりたいことは別だということに
気づくのですが。

まず、転職活動をしなきゃと思って始めたのが
転職情報系のサイトの登録。○○ナビとかそういう系のもの。
いろいろ見てみたものの結論→興味のあるところがほとんどない・・・。

自分の持っているスキルを考えてみると、全然転職先がないというわけではない。と思う。
すごいスキルを持っているわけじゃないけど、少なくとも必要とされないスキルではない。と思う。
不動産とか金融とか動画サービスとかポータルとかモバイルとか
そういったものにあまり興味を感じなかった。
でもC言語やってみたいなとか、Rubyやりたいなとか、プログラムデザイン勉強したいなとか
そういう興味はある。

問題はその技術を何のために使いたいか、だ。

そこでふと国連のサイトを見てみた。
だいたいこんなキーワードが書いてあった。

人権、子ども・教育、環境、平和・軍縮、貧困・格差、医療・食糧、民主主義

等々。

ふむ。ものすごく魅かれる。とても興味がある。
すくなくとも僕は「業界」よりも「問題」に興味があるんだと思う。
短絡的に聞こえるかと思うけど、どう考えてもそう思ってしまう。
これは学生時代(今思うと変な言葉だ。そんな昔じゃないのに)、
ずっと取り組んできた思考方法だからかもしれない。
いいか悪いかは別にして。

もっともシンプルな自分の気持ち。
それは、こうした「問題」に対して、自分の持っている技術、つまり情報技術を使って
何かコミットできたらいいな、という気持ちだった。

じゃあ、何を作るのか?

今までこういう類の勉強は多少してきたし、ニュースかなんかも
割とチェックしているほうだと思う。
でも、何が必要されているのかがわかるほどじゃないし、
こういう問題に取り組んでいる団体に入ったこともない。

後悔その1。なんであの授業をとらなかったんだろう、
なんでもっとこういうことに真剣に取り組まなかったんだろう。
(その理由は自分でもある程度分析できたつもりだが)

例えばNGOのデータベースとかSNSとかWEB上での募金システムとか
そういったものを作れる自信はある程度ある。
じゃあ、どこで、誰と、どういう風にやっていけるか。
仕事として成り立つのか、収入が得られるのか、そうでないのか。
もしそうなら、社員・職員としてできるのか、業務委託としてやるのか。
そもそもそこに入り込める余地があるのか。

これはもうあたってみないとわからない。
幸い、聞くべき友人や知り合いが何人がいるので
話を聞いてもらおう。

さて。これはまた別のレベルでの問題に興味がある。
上記の諸問題、あるいは様々な社会的な問題をが誰にどうやって認識されるかという問題。
例えばあるスポーツメーカー。
誰もが知っていて、CMに有名なサッカー選手などを使っているような大きな会社の多くが
スウェットショップとして批判されている。
スウェットショップとはおおまかに言えば児童労働や過酷な環境での労働、
労働に見合った賃金を労働者に支払わずに企業活動を行っている会社のこと。
こうした問題が80年、90年代から欧米で問題視されているけど
日本ではほとんど知られていない(と思う)。

スウェットショップは問題だ。
でも問題があるということを知っている人が少ないのはなぜだろうか。
ひとつはメディアの問題かもしれない、受け取る側の問題かもしれない。
メディア・スポンサー・国際政治・国民を巻き込む社会構造の問題かもしれない。
でも、僕はもっと知りたいし、みんなにも知ってほしいと思う。単純に。

そこで情報技術が使えるのかもしれない。
インターネットをうまく使えば、そういう情報がきちんと届けられるかもしれない。
でもOhMyNewsはこないだ閉鎖になった。

さて。興味となると他にもいろいろある。
以下、走り書き。ご勘弁を。

街を歩くのが好きだ。
素敵な喫茶店とか定食屋さんがあったりするととても面白い。
そこに入って、お店の人やお客さんと話をするのが面白い。
土地の話が聞けたりするともっと面白い。

お寺や神社を見つけると必ず入る。
そして、その神社やお寺の略歴が書いてある看板を必ず読む。
ふむ。ここはこういう神様が奉ってあるのか、こういう偉いお坊さんがいたのか、
ああ、こういう武士がいてここを拠点にしたんだな、お坊さんが病院を建てたんだな。
と思う。それで、この地域の地名の由来がわかったり、
年代とともに街が変わっていったりするのがわかる。
人々の歴史や営みがここに眠っている。

お墓では猫が眠っている。
川べりでは犬を散歩したりサイクリングをする人がいる。
里山では田植えをする人がいたり、温泉では湯治をする人がいる。
競輪場の周りには飲み屋さんがあって、スポーツ新聞が道路に散らかっている。
崖のしたには水が沸いていて古くから集落が形成されて、今でも農家がいる。
活気の良いお祭りがあって、脈絡のない神仏が神輿にのっていたり
どうしようもなくナンセンス(いい意味で)でハイセンスなパフォーマンスがある。
でも背後には悲劇の歴史があったりする。
ときに天候や地形が街やそこに住む人々の精神に影響を与えている。

こうしたことを理解するのがとっても、とっても面白い。
特にはじめての土地にいったときにこういったことを見聞きするのがとても面白い。
写真をとったり、文章にすることもある。

一方、すべてがつまらない街もある。
汐留はその最たる例だと思った。あそこには何もない。
というより、何もないと感じる自分は確かにいる。
無機質的で、機能主義的・合理主義的で、ラボのように無菌で無駄なものが一切ない。
これはいやだ。すごくいやだ。
あるいはスタバやらマックやらユニクロやら、どの街に行っても必ずあるもので
埋め尽くされている街もいやだ。

もし日本がこういう街だらけになったら本当につまらない国になってしまうと思う。
社会学的に言えば、都市の均質化という問題になるかもしれない。
これは大真面目に考えて問題だと思う。
その理由は今日は書かない。
だから「街を記述する」ことがなんとなく大事だと思っている。
学術的か商業的か、趣味的かどうかは別として。

そしてその街の上にのっかった人々をさえも均質化しようとする
「仕組み」が「街の機能」として備わっていたら??
と思うと、やっぱり自分は「問題」指向なのかなと思った。
どこかで研究職に戻りたい自分もいる、と思っている。
(でも研究っていう行為が持つ危なさ、つまらなさもよくわかっている)

長くなったので今日はこれで終わり。